2013年04月25日(木)

「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです」詩編73:28




ある人に、次から次へと立て続けてに試練が臨み、極めて厳しい状況だった。余りの心労に、心がふさがれるようで、辛く苦しくて、聖書を開く事も、祈る事も出来なかった。神がおられる事はよくわかっているのだが、自分は祝福されていないと思った。周囲の人々が楽しそうで、幸福そうに見えて妬ましかった。何で?自分だけがどうして?自分だけが不幸に思える。皆はいいよねと、反発心まで出て来る。

冷静に考えるとそうではないのだが、心に余裕が無いので、目の前の状況に振り回され、落ち込むばかりだった。そんな中、自分は祈れないが、牧師夫妻や、信仰の友人たちが心配し、懸命に祈ってくれていた。友が訪ねてくれるが、突っ張って素直になれない。でも、もう一つの心は、こんな反発する自分をわざわざ訪ねてくれて有難いと思う。そんな中、立ち直れたのは、周囲の祈りとやはり御言葉だった。

頑なな心があり、しかし全く平安は無く、これでいいはずはないと思う。そんなぐちゃぐちゃな心を主に向けていた時に、ふっと御言葉が臨んで来た。その直後に、牧師夫人が送ってくれた御言葉が全く同一の言葉だった。その時主を膚で感じ、主が働いておられる事を感じた。その御言葉から、光が来て、頑なな心を悔い改める事ができた。そして、信じて行こうと思えた。主から離れていて、主との関係が正しくなかった事がわかった。平安が戻り、喜びが溢れた。
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いらだつ時も、不安な時も、ふと主を見あげると心にすーっと平安が戻り、自分中心の見方から御霊に導き返されるのがわかる。神の側にいることが、いつも幸せの源だ。