2013年05月26日(日)

「ダビデはヨアブと自分の家来たちとイスラエルの全軍を戦いに出 した。彼らはアモン人を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデは エルサレムにとどまっていた」Uサムエル11:1 


全イスラエル軍が命がけで戦闘している中、王ダビデはエルサレム
にとどまり、夕暮れに、床から起き出すような、ダラダラした生活
をしていた。油断がある時に、サタンに、つけ込むスキを与えてし
まう。バテシバを見て、誘惑がダビデに臨んだ。

ダビデは、その瞬間に主を仰ぎ、主に頼り、誘惑を拒否すべきだっ
た。しかしそうする事をせず、欲望にままにバテシバと罪を犯して
しまった。その罪を隠そうとして、夫ウリヤ殺害という、罪に罪を
重ねてしまう。バテシバとの罪をすぐに悔い改めていたなら、ウリ
ヤ殺害は免れたであろうに。

理不尽に命を狙われたサウル王を、どんなに攻撃されても、決して
殺さなかったダビデだが、忠実な何の罪も無い部下を殺してしまう。
自分はトップであり、誰も何も言えない。自らの罪を隠ぺいした。
しかし、神は、何もかも一部始終を見ておられた。

「思い違いをしてはいけない。神は侮られるような方ではない」蒔
いた種を刈り取る。預言者ナタンにより、ダビデの罪は白日の下に
暴かれた。ダビデの素晴らしいところは、言い訳、弁解をしなかっ
た。バテシバのせいにしなかった。

「私は主に対して罪を犯した」と罪を率直に認めた。人々の手前、
王が罪を認める事は容易でない。しかし、その瞬間に、赦しが臨ん
だ。「主もまた、あなたの罪を見過ごして下さった」。ダビデに心
底の平安と安堵が戻った。これは、何ものにも代えられない平安だ。
私たちもいつでも主のもとに赦しがある。

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ぼおっとしている時、油断している時に、サタンの誘惑が来ている。
そしてそれに気づかない。この世にいる間は、霊の戦いであること
を忘れてしまう。今、主に目を向けよう。そして、誘惑が来た時、
まず「わたしを呼べ」と言われる主を呼ぼう。