2013年09月24日(火)
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「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ43:3
ある男性が第一線でバリバリ仕事をしていた。営業成績も常にトップを走っていた。ところが、体調を崩し、仕事にも行き詰まり、退かねばならなくなった。その時に、ひどく落ち込んだ。成績を出していた時は、自分が価値のある者と思えていたが、何も出来なくなった今、自分の価値を認められなくなったのだ。
自分が無価値に思える。苦痛であり、受け入れ難い事であった。
様々な言い訳で、自分を繕おうとするが、無駄だった。仕事上の失敗を認める事ができず、人のせいにしようとしている自分、人を赦せない自分に苦しんだ。主の御前に出て、醜い自分、弱い自分、心の内の何もかもを打ち明け、心注ぎ出し祈った。祈っていた時に、十字架が迫った。
「父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」主の祈りが、まさに自分のためである事がわかった。自分のための十字架であり、主の赦しの愛を全身に受け取った。そして、主は完全に赦して下さっているのに、自分が自分を赦していない事を示された。
主に自分を明け渡した時に、自分を赦し、人も赦す事ができた。
何かをしたからでなく、何が出来なくとも、このままの存在を受け入れて、愛して下さっている主の愛に癒された。自分を裁く事を止めた時、人を裁かなくなった。
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自分を計るはかりが、人の目であったり自分自身であった所から、神様の目にはどうであるかに自分の価値を置く人生に変えられるなら挫折も祝福だ。神様は変わらず愛をもって追いかけて下さる。
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