2013年11月25日(月)

「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうしないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません」マタイ6:1

「偽善者のようであってはいけない」と言われた。「偽善者」とは、「舞台役者、主演俳優」のことだ。偽善者=俳優だ。俳優とは何をするのか。俳優の役目は、脚本家が書いた脚本の通りに、その人物を演じることだ。監督が演技指導し、俳優は、その人物を、指導に従って忠実に演技する。いかに巧く演技するかで評価される。それは自分ではない別人物だ。偽善者とは、演技して自分ではない人物になることだ。

それは「人に見られたくて」人の賞賛、評価を得るため、人に認められたいがためにそうする。どうしても人間は、目に見えない神ではなく、目に見える人の愛情を求める。誰もがその弱さを持っている。人に受け入れられたいし、ほめられたい。人に愛されたいために、良い人を演じてしまう。しかし、それは自分ではない。それが祈りになると、「会堂や通りの四つ角に立って」綺麗事の祈りとなる。演技の祈りであり天に届いていない。

だが、この世の俳優は、わかってそれを演じている。パリサイ人は自分が演じていると思っていない。御霊は私たちが、人目によって、人前に生きている事を教え気づかせて下さる。根深く培われたものがある。主の御前でなく、人の前に生きる自分の姿を照らし、気づかせて下さる。それこそが恵みで、感謝だ。御霊の気づきに感謝し、更に主に従うことにより、御霊に照らしていただこう。
-----------
人の目から自由になれないのが人の限界なら、主により頼むしか術がない。主から目を離さず、主に尋ねながら、幾重にも装った偽りに気づきが与えられるよう祈ろう。