2014年04月25日(金)

「あなたのみこころを行なうことを教えてください。あなたこそ私の神であられますから。あなたのいつくしみ深い霊が、平らな地に私を導いてくださるように」詩編143:10 



私たちは、信仰生活の中で、主の御心を求める。「御心を示して下さい」と、切に祈る。しかし、心の底では、しっかり自分のプランが決まっていたらどうだろう。どうあっても自分のしたい事があって、それ以外の選択肢は考えられない。そのような状態で御心を求めた時に、どうだろう。心が定まっているので、それ以外の御言葉は無意識に排除してしまう。

この「無意識」が問題だ。意識して排除するなら、自分でわかっているので、とがめが来るが、無意識なので、とがめも無い。自分の都合の良い御言葉しか、心に留まらない事になる。それなら御心を間違ってしまう。主のお心を知るためには、自分の思い、願望を一旦、明け渡すことだ。特に、強い願望がある時には、主観が強くなり、無意識に自分の欲しい言葉、都合の良い言葉を取り込んでしまう。それゆえ、右でも左でも、白でも黒でも、御心のままでOKですと、まず自分自身を明け渡そう。そうする時、御心を知ることができる。

自分の願いがあるが、それをひとまず横に置いて、「主は」私に何を願っておられるのか、その視点に立って、尋ね求めよう。主も「できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのようになさってください」と祈られた。私の願いはあるが、その願いをお献げする事ができる。その時、「いつくしみ深い霊が」御心へと導かれる。そして、みこころを「行なうこと」ができるよう祈ろう。
----------
プランが先にあると主からの答えも落ち着いて待てない。右でも左でもと、自分のプランをいったん主にお預けしよう。全く違うみこころが示されるなら、何よりそれが感謝だ。