2014年08月26日(火)

「その人は・・と言って、その場で彼を祝福した。そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ」創世記32:29



ヤコブは名のごとく「押しのける者」だった。神に従うのではなく、
神も人も押しのけて、狡猾な知恵と力で生きて来た。そのため父と
兄を欺いた。ずっと罪のとがめがあったろう。その罪から目をそら
せ、逃げて来たヤコブであったが、いつかは向き合わねばならない。

私たちも、考えたくなくて、先送りして来た問題があるだろうか。
どれだけ先延ばしにしても、必ずいつか正面から向き合わざるを得
なくなる。ヤコブも、とうとうエサウとの対面の時が来た。知恵を
絞り、思いつく方策を取るが、恐怖と不安は消えない。そこでヤコ
ブは祈った。苦しい時の神頼みだ。

そして、なだめの贈り物を用意し、兄の機嫌を取ろうとした。しか
し尚も恐怖は無くならない。ますます恐れは増すばかり。その時、
神がヤコブをつかまえられ、神と格闘した。これも、ともかくも祈
った祈りの答えだった。ヤコブは、20年前、家を出て野宿した時に、
神から約束が与えられていた。「地上のすべての民族は、あなたと
あなたの子孫によって祝福される」「あなたをこの地に連れ戻す」。

祈るが、約束を信じることができない。それでも、尚かつそのまま
祈る祈りを、主は答えて下さる。ヤコブは変えられた。イスラエル
に生まれ変わり、その所をペヌエル(神の御顔)と言った。神と顔
と顔を合わせ、神との深い交わりに入れられた。これこそが真の祝
福であり喜びだ。主の御心に求め、御心に歩む人生が、真に祝福さ
れた人生だ。
----------------
事前に幾重にも策を労し、祈りに祈って、それでも思い煩う。万全
の体勢とはなんだろう。主のみを頼りに助けを求め明け渡すまでは
決して安心はできない。不信仰も不安もすべて主に渡そう。