2014年09月25日(木)

「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安・・」ガラテヤ5:22


私たちにとって、幸せとはどういうものだろう。自分の思い通りに、
自分のしたい事をして生きるなら、幸せで、充実感があると思うだ
ろうか。人生が自分の願い通りになり、自分の好きなようにできれ
ば快適だと思う。しかし、それは勘違いだ。決してそうではない。

例えば、富が自分を幸せにしてくれると信じ、富を得るが、幾ら得
ても満足する事が決して無い。富を持つなら、更に欲しがる。これ
は貪欲だ。貪欲は更に貪欲を生み、とどまるところを知らない。金
持ちが幾ら富を持っても決して満足しないように。欲望は満たせば
満たすほど、更に渇く。もっと欲しいと思う。

生きがいを求めて、次々とあらゆる事に手を出し、駆け巡る人を見
るだろう。自分を喜ばせ、自分の欲望を充足して行く人生はますま
す渇くばかりだ。問題は「自分中心」にあるからだ。神を喜ばせ、
神を第一にした人に、喜びが無かったという事を聞いた事がない。
人は喉から手が出るほど喜びが欲しい。

もし喜びが欲しいなら、自分を喜ばせる事を止め、神の喜ばれる事
を求めよう。喜びは御霊の実だ。御霊の実は、御霊に自分を明け渡
して、従って行く時に与えられる実だ。自分で得るのではなく、神
に従う時に豊かに与えられる。そして、御霊に満たされる時に、渇
きが止む。
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自分を喜ばせることが最大の満足だと、肉は御霊に絶えず拮抗して
くる。自分しか見ようとしない目をその度、神に向け、御霊の導き
にそって歩んでいこう。御霊の実による喜びを味わおう。