2015年03月26日(木) 「主よ。私の祈りを聞き、私の願いに耳を傾けてください。あなたの真実と義によって、私に答えてください」詩編143:1
「主よ。私の祈りを聞き、私の願いに耳を傾けてください。あなたの真実と義によって、私に答えてください」詩編143:1
ダビデは非常に辛い状況にいた。息子アブシャロムの反乱に会い、 都落ちした。実子と戦う事を避け、逃げる道を選んだ。又、その時 に、ダビデの議官であるアヒトフェルがダビデを裏切り、アブシャ ロムに寝返った。 アヒトフェルの事を「私の同輩、私の友、私の親友のおまえが」と 言っている。ダビデが心から信頼していた人物であった。「私をそ しる者なら、私は忍べた」と。しかし「おまえは、いっしょに仲良 く語り合い、神の家に群れといっしょに歩いて行ったのに」と。 親友に裏切られ、実子に歯向かわれ、どんなに苦しい胸の内だろう。 身も心もボロボロであった事だろう。しかし、これらの事も、姦淫 の罪、ダビデの蒔いた種の辛い刈り取りでもあった。しかし、ダビ デは、「あなたの真実と義によって、私に答えて下さい」と御前に 祈っている。 ダビデは、神は真実な正しい方で、罪が「赦される」事を心底信じ ていた。「血の罪から私を救い出てください」「しかし、あなたが 赦して下さるからこそあなたは人に恐れられます」と。ダビデは自 分の行ないや、自分の正しさでなく、神の真実と義に拠り頼んだ。 同様に、私たちも自分の側の根拠にいっさいよらず、主の血潮によ って、御前に行くことができ、全き赦しを受け取ることができる。 自分の蒔いた種がどのようなものであろうと、どのように苦しい時 も、血潮のゆえに御前に受け入れられる。赦されて、平安にされる。 何という恵みだろう。 --------- 完全な赦しがあるということは何と幸いなことだろう。悔い改めて 受け入れられた平安と共に、ますます十字架が大きく迫る。罪を悲 しむ思いも与えられ、へりくだらざるを得ない者にされていく。