2015年04月25日(土)

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともに います」マタイ28:20


ある女性が、昔、携帯電話も無い頃、真っ暗な夜道の帰宅を余儀な
くされた。街灯も無い、人一人通らない、真っ暗闇の林道が恐くて
恐くて、足がすくんだ。恐ろしくてどうしても足が動かない。どう
にもならず、主に叫び祈った時に「インマヌエル・主共にいます」
の御言葉が臨んだ。その瞬間、心が光に包まれ、恐怖が消えて平安
が満ちた。無事に帰宅できた。

それは一生涯決して忘れ得ぬ恵みとされた。ある人は、父親が脳梗
塞で倒れた後、障がいが残り、体調も非常に悪そうで、親が別人の
ように見えた。ずっと自分にとって、強い大きな存在であった父親
であり、ショックで受け入れられなかった。どうすればよいのか。
出来る事も何も無いように思えた。元のように回復を祈ればよいの
か、どう祈ればよいのか。

動揺した気持ちをありのまま告げながら、祈りの時を持った。主に
心の内を聞いていただいて、ひたすらなる祈りの中で、「あなたが
たの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのこ
とを心配してくださるからです」と語られ、神が心配していて下さ
る、ゆだねようと思えた。

尚も祈っていると、良くなっても、このままでも、どうであれ主は
共におられて、最善をして下さると信じる事ができた。すると心が
すうっーと楽になり、平安になった。私たちにとっての窮地からの
救いは、どんな時にも「インマヌエル」、神が共におられる、とい
うことだ。これこそが救いだ。

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「主が共におられる」。これさえあれば、どんな中でも生きて行け
る。今日も「主が共におられる」、苦しい問題の中にも「主が共
におられる」。「主が共におられる」これをじっと見つめていたい。