2015年05月26日(火)

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」ヤコブ1:2



「試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」とあ
る。その喜び方も、「この上もない」喜びだと。なぜなら、「信仰
がためされると忍耐が生じる」からと。「忍耐」は「我慢」するこ
とではない。「忍耐」とは、もっと積極的なことで、「神が必ず良
くして下さる」と信じることだ。それは信仰が試される時にしか生
じない。

順境で、神が必ず良くして下さる!というのは意味がない。逆境の
暗いトンネルの中で、このトンネルは必ず出る、と信じて行くこと
だ。そしてその忍耐を働かせて行く時に、信仰が成長すると。成熟
して行く。成長が無いのは、試練をごまかしてしまうからだ。試練
を避けたり、逃げたりしてしまう。「懲らしめを軽んじてはならな
い」試練こそが、成長のチャンスだ。自分が砕かれるし、変えられ
て行く。

成長の秘訣は、試練を逃げず避けず、受け止めることだ。今、苦し
みがあるなら、祈って行こう。主に向き合い、問題に向き合い、自
分に向き合う時、必ず一段階〃と成長して行く。主は沢山の事を教
えて下さる。霊的学びを得る。又、弱り果ててはならない。試練は、
愛されていないのではない。「主はその愛する者をこらしめ」と、
懲らしめは神の愛だ。

「懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子
ではない」と。「益のため、ご自分の聖さにあずからせようとして、
懲らしめる」。逃げないよう、受け止められるよう祈ろう。
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日々の生活で出会う様々な軋轢や躓きは、小さなことかもしれないが、
それを通して主は教えようとしておられる。なぜ平安がないのだろう、
自我のどこに当たってくるのだろう。向き合い成長していきたい。