2016年03月26日(土)

「主はわたしのたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道 に導かれます」詩編23:3



ある人が、夫が会社員を辞して、神学校へ行きたいと打ち明けられ
た。その時に、口では喜んで賛成したのだが、一方心の奥では、こ
れから経済的にどうなるのだろうと、拠って立つ所を無くしたよう
な、激しい不安に襲われた。それは心を暗くした。主は、経済的に
も、環境的にも、行く道も守り、すべての必要を満たして下さるお
方ではないか。すべての主権を持つ、全能の主ではないか。

頭ではわかるが、しかし不安でたまらない。どうにもならない。ど
んよりした心を主の前に注ぎ出し、心の内を探っていただき、祈っ
た。長く祈り続けていた時に、心の内が照らされた。自分はクリス
チャンで、主を信じ、主に頼っていると思っていた。

が、実は、心の底では、この世の富やこの世の地位、安定、人にど
う見られるか、それが自分にとって大切なものであり、偶像である
ことを見せられた。この世のものをしっかり握りしめて、放さない
姿を示され、悔い改めに導かれた。

その時、あんなに真っ暗で不安であった心が変えられた。恐れが取
り去られ、平安に満たされた。普通に、主を信頼しているつもり、
委ねているつもりなのだが、心のザラつきや、不安や、痛みを通し
て、心にあるものを探られる。委ねている「つもり」なので、なか
なか気づかない。

しかし、何か心に刺さる時、心がザラつく時、平安が失せる時、御
前に静まり、祈ろう。御霊は心の内を照らし、心の奥にあるものを
示し出される。真の自分の姿を知り、悔い改めたり、矯正されたり、
正されて、義の道、御心の道へと導かれる。何と幸いだろう。

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「献げているつもり」「委ねているつもり」「信じているつもり」
なので、自分でも気づかない。でも心がざらついたり、平安が無か
ったり、心重い時は、とにかくありのまま祈りに持って行こう。心
が光で照らされ、軌道修正され、義の道に導かれる。