2016年05月26日(木) 「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」マタイ6:34
「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」マタイ6:34
先の事の思い煩いで一杯になるだろうか。明日の事、一週間先の事、 一年先、果ては老後の事・・。しかし、主は一日単位で生きるよう にと言われた。別訳では「一日の苦労は一日にて足れリ」だ。一日 一日の積み重ねが一生になっている。なかなか気づかないが、今日 のこの一日しか生きる事ができない。 しかし長い人生、明日生きる事ができるように思ってしまう。まだ 来ていない明日の思い煩いで、この一日をつぶしてしまうなら、ず っと御心が行なえない。架空の亡霊だ。この一日を大切に、精一杯 生きて、今日の御心を行なって行く事が主の喜ばれることだ。 ある人がチーフとしてプロジェクトを抱えたが、それは非常に困難 を極めた。時間も労力も不足の中、日々深夜勤務となった。しんど くなり、どうにも身動きとれない状態で、主の御前に静まった。焦 り、いら立ち、不安、思い煩いの何もかもを告げ、祈りの時を持っ た。自分は、先、先と考え、思い煩い、不安や恐れ、焦りにさいな まれていた事に気づかされた。 まず主に委ねるように導かれ、先を思い煩わず、「その日一日だけ」 を考え、その日一日に心身傾けるよう示された。従って行くと不思 議が起きた。計画通りにその日の仕事を精一杯して行くと、平安が 心を支配し思い煩いが消えていた。 自分が平安なものだから、周囲もピリピリが消えて、良い関係の中 で集中して準備が出来て、そのイベントは素晴らしい成功を見た。 明日を主の手に置いて、今、この一日なすべき事をして行けるよう に祈ろう。 ---------- 山場を越えた後で、あの心配は何だったのかと思う。思い煩った日 々も主に与えられた大切な一日だった。亡霊に襲われるとき、先の 心配を主に預け不安を信仰で埋めよう。今日御心を精一杯生きよう。