2016年06月25日(土)

「怠けて、家々を遊び歩くことを覚え、ただ怠けるだけでなく、う わさ話やおせっかいをして、話してはいけないことまで話します」 Tテモテ5:13


「互いに悪口を言い合ってはいけません。自分の兄弟の悪口を言い、
自分の兄弟をさばく者は、律法の悪口を言い、律法をさばいている
のです」の通り、悪口は罪だが、うわさ話は、軽く見てしまう。し
かし、うわさ話は、本人のいない所で、陰で言われる陰口だ。とい
うことは、本人不在の実証されていない話だ。

本人不在であれば、間違った情報であっても訂正できない。又、反
論もできない。本人不在で事実はわからないのだから、そのまま受
け入れるべきではない。又、そのうわさ話の自分の「動機」は何だ
ろう。「動機」を考える事は大切だ。本人の利益だろうか、本人を
建て上げ、励ます事になるか。それとも不利益だろうか。不利益な
ら言ってはならない。

ある説教者は言った。「うわさ話は、三者を傷つける。言う人と、
聞く人と、言われている本人を」。「悪いことばを、いっさい口か
ら出してはいけません」「たきぎがなければ火は消えるように、陰
口をたたく者がなければ争いはやむ」。うわさ話が来たなら、自分
の所で止めることができる。広めないことができる。あなたの所で、
火を消すことができる。

雑談が、有害なうわさ話の方向に行くようなら、進路変更して行く
ことができる。もし自分がその人の立場だったら、どんなに傷つく
かを考えよう。「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しか
し知恵のある人の舌は人をいやす」。御霊の助けにより、舌が人を
いやすために用いられたら、どんなに幸いだろう。

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言葉は人を傷つけることも、癒すこともできる。一度口から出た言
葉は、取り返す事が出来ない。くちびるの戸が守られるように、祈
っていよう。主は周囲を慰め、励まし、祝福するために私たちを用
いられる。何と幸いだろう。