2016年07月26日(火)

「窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされなかったからです」詩篇102:17



いつも主に従っていたダビデがある時、祈らずに失敗した。サウル
に命を狙われ、窮地に陥り、敵地に逃げ込む決断をした。が、祈ら
なかった。そのために失敗した。アキシュのもとに身を寄せるが、
イスラエルと戦うはめになってしまった。結果的に守られるが、祈
らずに行動し大失態を招いた。

バテシバの誘惑が来た時も、そこですぐ祈れば良かった。主に助け
を求めていれば、違ったろう。祈りは大切だ。ある婦人。家計の必
要のため、パートを祈り求めていた。募集があった面接で、フルタ
イムはどうかと打診された。断ろうと思ったが、夫に相談すると、
家の事は協力するし、応援するとの事。環境は開かれたが、仕事内
容に自信が無い。

御心を求めて祈りに祈った。すると職を求めて祈りを積んだ、その
祈りの答えである事がわかった。確信与えられ、主に委ねて決心し
た。仕事に就いたが自信なく、主に頼って祈りに祈り、主にすがり
祈る日々だった。泣きながら祈り続け、日々主にすがりついた。す
ると自分でも驚き、周囲もびっくりするほど、次々と結果を出して
行った。

自分の力ではなく、祈りの答えであり、主の力だった。余りの成果
に職場の人々から「向いてる」「合ってる」「才能がある」と言わ
れたが、彼女は「違う!自分の力ではない。ただただ主の力」と。
祈って祈って、主に拠りすがった結果と。周囲も祈りの力を、主の
栄光を見せられた。
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祈ってからの示しが自分の思いと違っても、主の導きを確信できた
ことに安堵できる。日々の選択を主に祈ろう。些細な祈りで、大き
な罪にから守られる。