2016年08月26日(金) 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」マタイ11:28
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」マタイ11:28
主は、絶えず「わたしのもとに来よ」と招いて下さっている。その ままで今すぐに「来よ」と。私たちは、このままでは行けないと思 ってしまう。まず人を訪ねる時は、どうだろう。みやげが・・と思 い、頂き物をすると、お返しが・・と考える。 主に顔向け出来ない事をしてしまうと、行けなくなり、ちょっとは ましになって、少しは善い事をしてから、立ち直ってから、主のも とへと思う。罪を犯すと、こんな自分はダメ、受け入れてもらえな いと思い、ますます主から遠ざかる。どうだろう。御言葉は頭では わかるのだが、良い子が受け入れられ、悪い子はダメという、根深 い価値観がないだろうか。 ある人が、子供が不登校になり、悩みに悩んだ。なだめたりすかし たり、しかし何をしても行こうとしない。親として出来る事はしよ うと、学校関係者との関わりに、時間と労力をかけ努力した。だが 何の変化も無い。心身共に疲労蓄積で、もう疲れ果てた。出来る事 は何もないとギブアップした時に、「疲れた人はわたしのもとに・ ・休ませてあげます」の言葉が心に深くしみた。 それまでも祈っていたが、主のもとに行き、いっさいがっさいを告 げた。その時、自分が子供を受け入れていない事を示され、心から 悔い改めた。初めて真の平安と安堵に満たされた。主は真に休みを 下さった。今すぐに、主のもとに行こう。主は休ませて下さる。 ------------ 救われ主を知っている自分に疲れや重荷はないと思いたいが、いつ でも素直にこの御言葉を受け取りたい。疲れています、委ねられま せんと主に荷を預け、また立ち上がろう。