2002年06月25日(火)

「彼らは、朝ごとに、各自が食べる分だけ、それを集めた。日が熱くなると、それは溶けた」(出エジプト16:21)


 神は何も食べる物の無い荒野を行く
イスラエルの民に毎朝、天からマナを
降らせられた。朝毎に集め、それらが
彼等の一日の食料になった。昼に出て
行ってもマナはもう無かった。
必ず朝に集めなければならなかった。
もし、朝早く拾わなければ、厳しい荒
野を行く一日の体力は持たなかった。
私達は毎日朝に天からの糧を得ている
だろうか。朝に食料が無いなら力が無
く、潤い無く、喜びが無く流されてし
まう。あるバレリーナ-は「練習を一日
休むと自分にわかり二日休むと周囲に
わかり三日休むと観客にわかる」と言
った。毎日の絶える事の無い糧はどう
しても必要だ。
欠くべからざるものだ。そして、朝の
食糧と共に、一日中神との絶え間無い
交わりに生きる事だ。絶えず祈りなさ
いとあるように、一日を交わりの真っ
只中で祈り心で生活して行く事だ。
潤いと喜びがこころにある事に気づく。