2016年09月25日(日)

「彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、ナオミの 夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された」ルツ 1:2



ベツレヘムにいたエリメレクと妻ナオミに、飢饉が臨んだ。その際、
即、偶像礼拝のはびこる、異教の地モアブへ移住してしまった。し
かし、神の約束の地を捨てて外国へ行くのは、神の約束を捨て去る
事であった。ましてや、偶像の地に行くべきではなかった。目の前
の問題に、パニックになってしまい、すぐ目先の安心を求めがちだ。

しかしこれが間違いであった。問題から逃げようとばかりすると、
問題が更に大きく見えて、問題がモンスターになり、神が見えなく
なってしまう。そして御心からそれてしまう。私達が遭遇する困難
には、一つ一つに意味がある。神の深いご計画があり、みこころが
ある。それを避けて、別の道を探すのでなく、受け止める事が大事
だ。

飢饉は厳しい試練であったが、主の御手の中のこと、忍耐するなら、
いずれは主が豊作にして下さる。耐えられない試練は与えられない。
主を信じて、とどまる事が大切だ。更なる祝福と成長につながる。
今、目の前に苦しいききんがあるだろうか。その問題の中に、神か
らのメッセージがあり、神があなたに学ばせたい事がある。豊かな
祝福と成長が隠されている。

モアブへ逃れるのでなく、約束の地にとどまろう。問題を受け止め
て、よく祈り、御霊の示しに一つ一つ従おう。その時、厳しい状況
の中でも、心は何にも代えられない主の平安に守られる。そして主
ご自身を知って行ける。

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問題を見る時に、問題だけを見るのと、問題が主の御手の中にある
と見るのでは、大きく異なる。主がこの苦しみの中で、何を教えて
おられるのか、主のメッセージは何なのか。それを祈って行く時、
教えられて、この世の平安ではない、主の平安を経験する。