2017年01月26日(木)

「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した者は、いったいだれのものになるのか」ルカ12:20


ある金持ちが、豊作の時に言った。「倉を取りこわして、もっと大
きいのを建て、穀物をみなそこにしまっておこう」。これから先何
年分も貯められたから、安心して食べて飲んで楽しもう。しかし神
は「今夜、お前の命は取られる。お前が用意したものは、誰のもの
になるのか」と。

これから思う存分楽しもうとしていた金持ちは、その夜、亡くなっ
てしまった。金持ちの上に、更に豊作で、倉の上に更に大きな倉だ。
だが貧しい人々に分け与えようとの気持ちはいっさい無かった。ひ
たすら自分、自分、自分のみだった。すべて自分のもので、自分の
所有物であった。しかし、彼は自分がいつか死ぬこと、神の前に立
つ事を全く考えていなかった。

彼には、「神」も「死の備え」も無かった。そのため神は彼を「愚
か者」と言われた。富は宝だ。どう使うかによって、自分には本当
は何が大切で、何に価値を置いているかを表わす。自分は何が大事
なのだろう。命は神の御手の中に握られている。もし、神の御前に
生きていたなら、この豊作を与えて下さった神にまず感謝を献げた
ろう。

そして、神が与えて下さったこの豊かな作物を、どのように神のた
めに用いることが出来るかを祈ったろう。神の望まれる通りに、管
理し、用いて行く。そこに大きな喜びがあり、そしてそれが神の前
に富むということだ。又、富が無くとも「わたしは決してあなたを
離れず、あなたを捨てない」と言われる主が、常に共におられる。
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明日の保障のためにお金は必要だが、お金に望みをかけてしまう貪
欲に警戒していなさいと主は言われた。むしろ、すべてのものを豊
に与え、楽しませてくださる神に望みを置くようにと。