2017年09月25日(月) 「侍従で、王がその腕に寄りかかっていた者が、神の人に答えて言った。『たとい、主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか』」U列王7:2
「侍従で、王がその腕に寄りかかっていた者が、神の人に答えて言った。『たとい、主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか』」U列王7:2
エリシャの時代に驚くような事が起きた。飢饉でどんどん人々が餓 死する非常事態の中、エリシャは、「明日、小麦や大麦が溢れるば かりにある」と言った。そんな状況の中だ。侍従が「そんな事があ り得ようか」と言った。するとエリシャが「あなたはそれを見るが 食べられない」と預言した。 そんな時、サマリヤの門に、四人のらい病人がいた。町は飢饉、こ こにいてもどうせ自分達は餓死する。それなら、敵の陣営へ入って みようではないかと。もしや食料があるかも知れない。それが、敵 のアラム陣営では、神がアラムに大軍勢の騒ぎを聞かせられ、襲撃 と勘違いさせた。アラムは驚き恐れ、陣営を置き去りにし一目散に、 逃亡した。 それでそこに入ると、山ほどの金銀、溢れる食料があった。彼らは、 それを王家に知らせた。王は信じなかったが、偵察により事実を知 った。すると大勢が殺到し、侍従は踏みつけられ死んだ。預言通り になった。実際、溢れる食料を神は用意された。しかしそれを信じ なければ、自分のものにはならない。 目の前に溢れる食料があるのに、餓死する事になる。私達も同様だ。 十字架の救い、神の愛、罪の赦し、義とされる事・・、溢れる恵み の中で、不信仰でいないだろうか。自分で恵みをシャットアウトし ている自分の姿ではないか。莫大な恵みが目の前に備えられている。 信じようとしない自分に気づこう。 ------------- 現実の悲惨さの前には御言葉の約束も吹っ飛んで、自力で右往左往 してしまう。信じられない御言葉を前に不信仰に気がつく。主への 絶対的な信頼を逃げないで経験していきたい。