2017年12月26日(火)

「そのために私は、高ぶることがないようにと、肉体に一つのとげを与えられました」Uコリント12:7


パウロは、「とげ」が与えられた。そのとげの突き刺して来る痛み
は何とも苦しく、そのとげを取って下さるようにと、三度、主に祈
った。しかし、主の答えは「ノー」であり、その弱さの中にこそ、
主の力が完全に現れると。私たち一人一人にも、いろんな形で「と
げ」が与えられる。

病気や、様々な苦境、辛い問題、悩み、又しばしば対人関係の形で
やって来る。嫌な相手が目の前にいる。「何でここに、この人がい
るのか。この人さえいなければ、私は平穏で、幸せなのに。何でこ
の人が!」との相手だ。そこで何度も何度も、この人を私の前から
取り去って下さいと祈る。

とげが抜けて、痛みから解放されたら、どんなに楽で嬉しい事だろ
う。祈り続けるのだが、その祈りは答えられない。取り去って下さ
らない。しかしそこで取り扱われ、弱さの中でこそ、主の御力や主
のご愛を知って行く。そのとげは、高慢にならないために与えられ
たものだ。

そのとげにより、へりくだりが与えられ、弱さが恵みであることを
経験して行く。もしその弱さが無かったなら、何でもかんでも出来
たなら、決して主に頼ることなく、自分でやって行ってしまうだろ
う。弱さにより、心底主に頼ることを経験させられ、御言葉を信じ
ることを経験して行く。

今、目の前に祈るが、取り去られ無い事態があるなら、それがあっ
た方が良いという事だ。更に主に頼り、更に主を信じる信仰に成長
させようとして下さっている。あなたのとげは何だろう。
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解決できない問題、長引く祈り、その中でどれ程変えられて来ただ
ろう。いつでも強く完璧であれば、弱さの中に働かれる主を決して
知る事はなかった。弱さを弱さのまま受け入れよう。