2018年02月23日(金)

「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです」詩篇73:28


「苦しい時の神頼み、楽しい時の神離れ」と言われる。苦しい時に
は、必死になって神に助けをあがき求めるが、物事が順調に行き始
めると、神から離れ自力で生きて行く。形は信仰者なのだが、自分
の思いで生きて行く。肉で生きて行けてしまうので、神に頼る必要
が無い。

この世の商売繁盛、家内安全、五穀豊穣ではないが、目の前の仕事
の困難を助けて欲しい、不作は困る、経済的必要を与えて欲しい、
受験に合格させて欲しいと、主を求める。欲しいものを手にしたい。
しかし、得てしまうと、再び自分の道に戻り、自分の道を歩む。そ
して又、困難が生じると、主のもとへ来る。生涯がこれの繰り返し
ならどうだろう。

欲しいものを得るためだけの主で、自分と主との関係はどうなって
いるのだろう。勿論、主は「求めなさい。そうすれば与えられます」
と、必要を求めるようにと言われ、豊かに与えて下さるお方だ。主
は求める事を喜ばれ、その求めに答えて下さり、私たちを喜びで満
たして下さる。しかし、主は、私たちが欲しいものを得るための手
段ではない。主と私たちの間は、雇用関係でなく、信頼関係だ。

私たちが、主を、主として生きて行くことを願っておられる。主と
して生きて行くとは、苦しみの時も、悲しみの時も、喜びの時も、
絶えず主と共にいる事であり、順境であれ逆境であれ、いつも主を
求めて行くことだ。愛の関係であり、それはすべての事について感
謝する歩みだ。
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主は心の岩、主は避けどころだ。「しかし私にとっては」と、状況
にのまれず、信仰の目で主に向かい主の近くにいることを幸いとす
る歩みは何と平安だろう。