2018年06月25日(月) 「イエスは言われた。『その石を取りのけなさい』」ヨハネ11:39
「イエスは言われた。『その石を取りのけなさい』」ヨハネ11:39
主は、ラザロにご計画を持っておられた。そのため、ラザロが病気 である事を聞かれても、決して動かれず、何と死ぬまで待たれた。 そして死を確認してから、ラザロのもとへ行かれた。主のご計画は、 病気を治す事ではなく、死からよみがえらせる事であったからだ。 迎えに出たマルタに、主は「あなたの兄弟はよみがえります」と、 ラザロはよみがえると、はっきりと語られた。マリヤにも同様だっ た。しかし、人々は信じなかった。主が墓に行くと、ほら穴には石 が立てかけてあった。「その石を取りのけなさい」と言われた。 しかし、死後4日経ていたので、もう臭くなっているのに、今更ど うなりましょうかの戸惑いの反応であった。この石は、私達の信じ ようとしない「不信仰」だ。そして「あり得ない」「不可能」との 思いだ。それが信仰をさえぎっている。心の底にあるだろうか。信 仰が働くためには、私達の内側の、信じる事を拒む思いを取りのけ る事が必要だ。 「あなたの兄弟はよみがる」と言われ、「わたしは、よみがえりで す・・わたしを信じる者は死んでも生きる・・このことを信じるか」 と問われた主は、今一度、「もしあなたが信じるなら、あなたは神 の栄光を見る」と言われた。そこで彼らは石を取りのけた。そして、 死からよみがえったラザロを、姉妹達のもとへ返された。 私たちはどうだろう。私たちの内にも、信じる事を妨げ、塞いでい る、「石」があるだろうか。信じようとしない、頑なな自我だろう か。そのまま、主のもとへ行き、不信仰を認めて、主に告白しよう。 主は助けて下さり、主が信仰を与えて下さる。そして、神の栄光を 見せて下さる。 ----------------- どうせ何をやっても駄目だろう、無理だろうと決めてかかっている から何の変化もないのではないか。主のご計画の邪魔をしている石 を主に差し出し動かそう。主のご栄光を見る者となりたい。