2018年11月25日(日)

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには 時がある」伝道の書3:1


主は、家を出て、荒野で野宿するヤコブに現われ、「あなたをこの
地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し就げるま
で、決してあなたを捨てない」と約束された。この地に連れ戻すと。
しかし、その約束の成就には、1年や2年ではなく、20年の月日を
要した。20年とは、気が遠くなるほど長い歳月だ。私たちは、しば
しば待つ事が苦手だ。

しかし、神は早急にではなく、地道に、時間をかけながら、こつこ
つと私たちを導かれる。今の1日1日は、主に在って、練られきよ
められ、造り変えられる途上にあり、1日とて決して無駄な日は無
い。必ず時は満ちて、「神の時」は到来する。そして神の約束が成
就して行く時には、よく見ていると、予兆がある。

微動だにしなかった状況が、少しづつ動いて行く。環境に微妙な変
化が出て来る。ヤコブの周囲の状況も変化して行った。ラバンの息
子達が、父の物をみなヤコブが盗んだとの物言いをする。ラバンの
態度も変わって来た。このままなら争いが起きそうだ。ヤコブへの
対応が変わり、微妙な空気を感じ取る。

そんな時に、はっきりと主の御声が臨んだ。「さあ立ってこの土地
を出て、あなたの生まれた国へ帰れ」と。神の時が来た。私たちも
状況の変化をよく目に留めていよう。そして、明確な、神の御言葉
が臨む時が、行動を起こすべき時だ。必ず神の時はやって来る。

・・・・・・・・・・・・・
試練にも、主の定められた期間がある。それより延びる事は無い。
試練のまっただ中では、苦しみが永遠に続くように思えてしまうが、
すべてに時がある。耐えられない試練は無く、逃れの道があり、試
練の度に成長が与えられる。状況でなく御言葉を見つめていよう。