2018年12月26日(水)

「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」マタイ26:39



御言葉は一貫して求めるように言っている。求めよ、そうすれば与
えられると。「あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願
わないから」だと。「求めなさい。そうすれば受けるのです」と。
苦しみ、悲しみ、嘆き・・あらゆる気持ちを告げつつ、神に願うべ
きだ。神は、私達が献げるどんな祈りも受け止め、聞いて下さって
いる。

だがすべての願いが、その通りに叶えられるのではない。御心にか
なった祈りが叶えられる。御心に合わないなら叶えられない。人間
の計画や考え行動に関係無く、神のご計画だけが成就する。人間か
らのものが、神のご計画に入り込む余地は決して無い。

自分の計画と神のご計画が異なる時がしばしばある。私達は信仰の
目によって捕らえる必要がある。自分の計画より、遙かに良い、高
い、神のご計画がある。そこで自分を明け渡して、自分の願いをそ
の神のご計画に沿わせて、祈りを変更して行こう。そうできるよう
祈ろう。

主がゲッセマネで「わたしの願うようにでなく、あなたのみこころ
のように」と祈られたように。自分の願いをまず祈るが、そのプロ
セスで、神のみ思いに沿わせ軌道修正して行く時、神の御心が見え
て来る。その時、その祈りはすでに叶えられる事になる。時に、忍
耐の必要な祈りがある。

ただずっと祈っているが、手応えなく何かしっくりこない時、御心
が別にあるのかも問うてみよう。「人の心には多くの計画がある。
しかし主のはかりごとだけが成る」とあり、自分の思いも多々入っ
ているかも知れない。そして主の御心だけが成るからだ。
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でも、御心がなりますようにと祈るうちに、徐々に祈りを主に明け
渡すことができる。祈りの中で主が心を整えてくださるからだ。御
心はどこにあるのかと主に尋ねていこう。