2019年01月26日(土) 「・・わたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとして イサクをわたしにささげなさい」創世記22:2
「・・わたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとして イサクをわたしにささげなさい」創世記22:2
はっきりと御言葉が「神はアブラハムを試練に会わせた」と言って いる。神がアブラハムに与えた試練だった。神は私たちに必ず試練 を与えられる。アブラハムの試練は、ひとり子イサクを、全焼のい けにえとして献げよと言うものだった。しかし神が本当にそんな事 を言われたのか。もしや聞き違いではないのか。 だが普段から神との親しい交わりに生きている、彼にはわかった。 間違い無く神の御声であり、神からの命令だ。間違いは無い。どん なに苦しい悶々の一晩であったろう。最愛の息子だ。それも待ちに 待って神が賜った約束の子だ。イサクから全世界に子孫が広がるは ずだ。そのイサクが死んでしまったら。子孫が祝福されるという約 束はどうなるのか。 しかしアブラハムは、深い祈りの中で、神を信じた。神にはイサク が死んでも、よみがえらせる事ができると。彼は「翌朝早く」神の 命令に従った。神の示しには、早く、速やかに、すぐに従うのが良 い。グズグズするなら、そこに悪魔に機会を与えてしまい、最もら しい言い訳や口実や理由が、幾らでも次から次へと出て来る。その 内、サタンに説得されて、必ずや従えなくなる。 あなたも経験あるだろうか。大きな祝福があればあるほど、悪魔は 必ず妨害して来る。ぐずぐずし、従う事が遅れるなら、結局、従え なくなってしまう。もし、あなたが今この状態なら、目の前の導き に、すぐに一歩踏み出して、従おう。その時、「主の山の上に備え あり」の、大きな主のみわざを経験する。必ず主の備えがある。 ・・・・・・・・・・・・ 主は必ず私たち一人一人に試練を与えられる。それは耐える事ので きないものは無く、必ず乗り越えられる試練だ。主は量って与えて おられ、脱出の道も備えられている。受け入れて学べるよう祈ろう。 成長して行ける。そうでなければ痛くて辛いだけで終わってしまう。