2019年02月23日(土) 「・・聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。 宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう」ロー マ10;14
「・・聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。 宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう」ロー マ10;14
ある人が、人生の大変な苦境にいた。深刻な問題を抱え、経済的に も立ち行かず、死をも考えるほどの瀬戸際だった。そんな時、買い 物に入った店で、レジで支払いをしていた時に、背後にかかってい た言葉が目に入った。店主がクリスチャンであり、壁に御言葉の色 紙を飾っていたのだった。「神は愛なり」とあった。心に焼き付い て離れなかった。 帰宅後も、その言葉が頭から離れず、グルグル回った。「愛?」 「神が?」「愛って何?」「神とは?」「どういうことなのか?」 「神が愛なら、なぜ今自分はこんな瀕死の状態なのか」。御言葉に たましいが捕らえられたかように、思いからどうしても離れず、翌 日その人は、店主に意味を聞きに行った。 すると店主は、店の奥の座敷に上げてくれて、聖書から丁寧にその 意味を話してくれた。そして身の上話を真剣に聞いてくれた。店主 の愛情を通して教会に導かれ、主を信じることができた。試練には 脱出の道が備えられていて、生活のめどが立ち、苦境からも救われ た。御言葉を用い、クリスチャンを用い、苦しみの中にあるたまし いを導かれた。 別の人も引っ越し先の全く見知らぬ地で、不安と孤独の中、隣家の クリスチャンが親切に、ゴミの出し方、病院や店を教え、お茶に招 いてくれたりと、優しく接してくれた事を通して、主を知る事と なった。私たちもそれぞれ何かのきっかけがあって救いに入れられ た。今度は、私たちが誰かの救いのために用いられるなら、どんな に幸いだろう。様々な方法で、主は人を救いに導かれる。そして私 たちを用いて下さる。 ・・・・・・・・・ 御言葉を、証しを、誰かが語らなければ、聞く事ができず、主を信 じることが出来ない。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはい けない」とあり、まず祈る事が大切だ。祈りから御霊が語る機会を 与え、語るべき相手を導いて下さる。