2019年05月26日(日)

「苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたのことばを守ります」詩篇119:67



苦しみは辛いものであり、喜ばしいものではない。しかし「苦しみ
に会ったことは幸せ」だったと言っている。苦しみは大きな祝福と
されると。苦しみにより自分が変えられ、成長させられる。多くの
人が試練により、主に近づけられ、主を知り、自分が変えられ、祝
福とされたと証しする。

「苦しみに会う前には、私はあやまちを犯した」とある。人は何も
かもがスムーズに行っている時は、「苦しい時の神頼み、楽しい時
の神離れ」で、主を忘れてしまう。頼らずとも問題無く生きて行け
るからだ。頼る必要がなく、自分で生きて行く。「あなたの行く所
どこにおいても、主を認めよ」とあるが、主を認めず、主に頼らな
いことが高慢だ。

しかし何の問題も無いので、気づかない。万事OKと思ってしまう。
高慢になって滅びないように、主は苦しみを送って、気づきを与え
て下さる。苦しみの時は、何の手立ても無く、自分の力でどうしよ
うもなく、主に頼る以外に道がない。苦しみの中で、主の御心は?
何を教えて下さっているのか?自らの歩みを振り返り、主を求め、
様々な事を考える。

主に向き、自分に向き合い、歩みを軌道修正される。必ず後に、苦
しみに会ったことは、幸せだったと言える。主に近づけられ、主の
愛に触れ、深く主を知る時とされるからだ。多くの学びを得る。そ
して苦しみに会う前は過ちを犯したが、「今は、あなたのことばを
守ります」と。御言葉に従う者に変えられる。

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問題が無いと、主に頼らずとも生きて行けてしまうので、主を離れ
てしまう。順境の時は、主に感謝して感謝して歩もう。苦しみは必
ずあるが、後に「苦しみに会ったことは幸せでした」と結果する。
主に在るなら、どんな時にも希望があり、光がある。