2019年06月25日(火)

「シムイはのろってこう言った『出て行け、出て行け。血まみれの 男、よこしまな者』」Uサムエル16:7 


ダビデはこの時、心が引き裂かれるような辛い状況にあった。実子
アブシャロムに歯向かわれ、攻撃を受ける。そのダビデは息子と戦
わないで、ただただ逃げ回る。愛する実子の謀反にどんなに辛く心
痛んだ事だろう。又、信頼しきっていた側近のアフィトフェルの裏
切りにも会う。彼はダビデからアブシャロムに寝返る。

心はずたずたに裂かれて、涙と心痛の中、シムイという男にそしら
れる。彼は盛んに呪いの言葉を吐いた。「出て行け。血まみれの男。
よこしまな者」と。部下が「首を跳ねさせて下さい」と進言したほ
どだ。しかし、ダビデは「彼にのろわせよ。主が、彼に命じられた
のだから。主が彼の呪いに代えて幸せを報いて下さる」と。

ウリヤ殺害の罪が思われただろう。しかしダビデは、信仰によりす
べてを主に委ねていた。だから受け止めることができた。幸せも主
から来ると信じる事ができた。ダビデは、なぜこんなに落ち着いて
対応できたのだろう。私たちは、人からの攻撃的な言葉、傷つく言
葉を聞くと、不安、恐れ、思い煩い、怒りでいっぱいになる。

何を受け入れるか、拒否するかは自分次第で、選択だ。同じ言葉を
聞いて、心乱れる人も、穏やかでおれる人もいる。どこに視点を置
いているかが重要だ。ダビデは主だけを見ていた。一心に主を見て
いたので、状況は問題ではなかった。状況に飲み込まれると、主が
飛んで見えなくなってしまう。今、目の前の問題でなく、目を主に
向けよう。

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落ち込む時、思い煩いでいっぱいになる時は、必ず状況や自分を見
ている。主を見ていない。主を見上げ、主に頼る時に、御心の対応
が与えられる。主に向くと、主がどなたで、どのようなお方かを思
い出し、信仰の目を持って、状況を改めて見直せる。