2019年07月26日(金)

「彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした」詩篇22:5


ハドソン・テーラーの証しだ。彼は医者の助手として働いていた。
その医師から、自分はよく忘れるので、給料を渡し忘れたら言うよ
うにと言われた。しかしその事で彼は、その時には言わずに祈り、
主から答えを頂こうと決めた。そして案の定、給料を忘れられた。

切に祈った。段々食料も尽きて、残り銀貨1枚となった。その時に
貧しい子供が来た。母親が病気だ。しかし銀貨1つしか無い。2つ
あれば1つ上げるが、1つなので上げられないと思った。帰宅し祈
るが「偽善者」との思いが来る。「祈るよりも与えるべきだ」と。
そう出来ない自分に、主にのみ頼る信仰はないと惨めになった。

結局その銀貨を子供に上げた。財布は空になったが、心は平安と喜
びで満ちた。その日の夕飯は残り物を食べた。だが翌朝からは何も
ない。すると早朝に郵便が届いた。封筒を開くと彼が与えたお金の
数倍が入っていた。そのお金が無くなった頃、医師が給料の事を思
い出してくれた。

神は真実であり、生きて働いておられる。ツァレハテのやもめは、
エリヤに、最後のひと握りの粉を求められた。それは饑饉の中、食
糧もすべて無くなり、死ぬ前の、自分と子供の最後の食事だった。
これを食べて死のうとしていると。しかしエリヤは「まず私にパン
菓子を」と。そうするなら、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくな
らないと。

彼女は言われた通りに、最後のギリギリのものを献げた、その時に、
エリヤの言葉の通りに、饑饉の間中、かめの粉は食べても食べても
尽きず、つぼの油は無くならなかった。饑饉のまっただ中で豊かに
養われた。真実な主が共におられる。

・・・・・・・・・
主に信頼する時、決して恥を見ることはない。信頼すべきは、目の
前の見えるものではなく、主ご自身だ。すぐ方向を間違い、見える
ものに頼り、しがみついてしまう。見えるものでなく、すべてを支
配し、すべてを与える事のできる主に信頼を置けるよう、そうでき
るよう祈ろう。