2019年10月26日(土)

「トマスは答えてイエスに言った。『私の主。私の神。』」ヨハネ 20:28


十字架にかかり、よみがえられた主が、弟子たちが恐れて隠れてい
た家に、ご自身を現わされた。「平安があなたがたにあるように」
と。「弟子たちは、主を見て喜んだ」とあり、よみがえられた主に、
どんなに興奮し、どんなに嬉しかった事だろう。平安と喜びに満ち
溢れた。しかしトマスだけが、その時、その場にいなかった。

トマスは、「自分だけがなぜ?」「なぜ自分のいない時に?」自分
が不在だったわけだが、不満な思いだったろうか。「私たちは主を
見た」と大喜びの弟子たちに「その手に釘の跡を見、私の指を釘の
ところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、
決して信じない」と言った。

そして、八日後、トマスが一緒にいる、弟子たちの部屋に、再びご
自身を現された。そのトマスに「あなたの指をここにつけて、わた
しの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさ
い」と、驚くべき事にトマスが言ったそのままを言われた。

「決して信じない」に対し「信じない者にならないで、信じる者に
なりなさい」と。トマスのために来られた。トマスの心の内の微妙
な思いをわかり、受け止めて下さっている主の愛に触れた。自分で
見なければ、決して信じないと言ったそんな自分に、個人的に向き
合って下さった主。

まるでトマスのために、現れて下さった状況に、彼は、指を釘後や
わきに差し入れずに、「私の」主、「私の」神と、主を信じ、最高
の信仰告白をした。同様に、疑い深い私たちにも、私たちを愛して、
主は来て下さっている。

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「手に釘跡を見、指を差し入れなければ、決して信じない」とのト
マスに、主はご自身を現され、そのままの言葉を言われた。トマス
はどんなに驚いただろう。心の奧までご存じの上、受け止め愛して
下さっている深い愛が私たちにも注がれている。私の主、私の神だ。