2002年10月27日(日)

「わたしは、あなたがたに自分で苦労しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです」(ヨハネ4:39)

ある家の庭は見事だった。綺麗な花が季節ごと
に咲き乱れ、見る人を楽しませた。皆に素晴らし
いと誉められるが、自分の手柄ではなかった。
なぜなら、引っ越して来た時、前の住人が世話
をし、育てたものだったから。これらは人の信仰
を手助けする上で自分の果たす役割を教えて
くれる。それは私達一人でする事ではない。
福音や愛の行為を人々の人生に蒔くが、
なかなか芽が出ない。失敗したかのように感じ
る。ある花はすぐに芽を出すが、ある花は長い
時間がかかる。人の信仰もそうだ。蒔かれた
種がその人の中で長い間眠っているかも知
れない。やがて別の人が来て私達の蒔いた
種の収穫を見るのだ。収穫は神の時にやって
来る。自分は蒔く人か刈り取る人かはわから
ないが、神には決して無駄はない。