2020年04月25日(土)

「わたしたちは、兄弟を愛しているので、死からいのちへ移ってき たことを、知っている。愛さない者は、死のうちにとどまってい る」Tヨハネ3:14



ある人が、対人関係で傷つき、相手がどうしても赦せない。しかし
自分はクリスチャン、赦さなくてはと思うのだが、思う度に更に怒
りが湧いて来る。「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、
その人は偽り者」とあり、御言葉によるなら、現に相手を憎んでい
る自分は、まさに偽り者ではないか。

赦せない思いはどうにもならず、悶々状態だ。だが、人を憎むのは
自分が辛く苦しい。平安も無い。そのため、そのまま祈りに持って
行き、御前で祈り続けた。「赦したくない。怒りがどうにもならな
いです」と正直に祈り続け、だが苦しいため、「でも、赦せるよう
助けて欲しい」と祈った。無力を思い知らされる中、とにかく祈り
続けて行った。

そんな中、不思議を経験した。心の内を告げながら、ああでもない
こうでもないと、時間をかける中で、心が少しづつ〃変えられて行
ったのだ。ふと「赦してもいいかな」と思う瞬間があり「しかしや
はり赦せない」、尚も祈っていると、赦してもいいかなの気持ちが、
少しづつ微量ながら増して行ったのだ。そして、怒りが少しづつ〃
薄らいで行くのを覚えた。全く自分でなく、主のみわざであった。

「愛さない者は、死の内にとどまっている」、愛さない者は、闇の
中にいると言っている。「愛の内にいる者は、神の内におり、神も
その人の内におられる」。「愛して行こうとする事」が、神の内に
いるかどうかのしるしだと。愛するとは、赦すことでもある。まず
自分自身が、主の愛を知って行く時に、人を愛する者に変えられて
行くと。

内に御霊がおられるので、必ず、愛、喜び、平安、寛容・・の実を結
んで行くからだ。自分の愛の無さを知り、弱さを知る。しかしそれ
を知る時、変えられて行くとの希望がある。少しづつ〃変えられて
行く。御霊が変えて行って下さる。どんな時にも希望がある。

・・・・・・・・・・・・
どうしても赦せない思いや、愛せない思い、どうにも出来ない時こ
そ、主のみわざを知る恵みの時だ。どうにも出来ないが、祈る事が
出来る。まず祈ろう。すると「自分が」「自分の力で」しようとし
ている事に気づかされる。主が取り扱われ、みわざを見せられて行
く。