2020年06月25日(木)

「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うし



人が過ちに陥った時、御霊の導きのもと、柔和な心で正すようにと
言っている。過ちを犯した人に、いら立ったり、自業自得と裁いて
しまったり、受け入れ難くなりがちだ。自分にも、同じく肉の性質
があるからだ。しかしそのままにしておかずに、その人を正してあ
げなさいと言う。「御霊の人であるあなたがたは」とあり、その時
は、まず自分自身が、御霊に導かれている必要があると。

「また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい」と言っ
ていて、自分もいつ誘惑に陥るかわからない弱い者であり、同じよ
うになっていたかも知れない。へりくだって、自分の心も探られ、
まず自分の罪を悔い改め、よくよく祈り、御霊からの導きを受け取
る事が大切だ。

その時、自分の思いや自分の力でなく、御霊がこの事を導かれてい
るとの平安が来る。そしてよく整えられ、「柔和な心」が大切だ。
ただ罪を責めるのではなく、「愛をもって真理を語」れと。愛をも
って、その人の立場に立って考えることだ。相手を思いやる気持ち
で接する時、御霊が働かれて、初めて相手の心に届く。御霊が、相
手に罪を示し、悔い改めへと導かれる。

ナタンは、罪を犯したダビデに対応した。ただ責めたのでなく、例
え話によりダビデに考えさせた。御霊は働き、罪がはっきりと指し
示された。ダビデは悔い改めへと導かれた。もし御霊の示しがある
なら、従おう。自分の力ではなく、御霊が働かれ、用いられる。
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誰かが過ちに陥ったとしても、自分自身の弱さは重々承知している。
同情したり裁かないようにと祈るばかりだ。相手の罪の重荷を共に
担う御霊の押し出しがあれば、自分を捨てて従おう。