2020年12月24日(木) 「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」ルカ1:28
「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」ルカ1:28
マリヤは、突如、御使いの訪問を受け「おめでとう。恵まれた方。 主があなたとともにおられます」と告げられた。突然の事に、その 言葉に戸惑うマリヤは、どういう事かと考え込んだ。すると「恐が ることはない。あなたは神から恵みを受けた」のだと。みごもって、 男の子を産む、名をイエスとつけるようにと。彼はとこしえにヤコ ブの家をおさめると。 しかしマリヤは疑問を問うて行った。なぜ子供が生まれるのか。男 性を知らないのに。御使いの答えは聖霊によると。聖霊が臨み、聖 霊の力がおおい、赤子が生まれると。そして不妊のエリサベツさえ 妊娠している。神に不可能なことは一つも無いと説明した。これは マリヤが選んだ事でなく、打診されての事でもなく、一方的にマリ ヤが選ばれての事だった。 マリヤはヨセフと婚約中で、この身になるなら、ヨセフとの結婚も 将来もすべて壊れるだろう。また結婚前に妊娠するなら、当時は石 打ちの刑で、死刑だ。言葉通り、この身になるなら、死を意味する。 しかし御使いは「恵まれた方」「恵みを受けた」と言う。私たちは 目の前の事態に、まず自分を中心に考えてしまう。自分に都合良い か、悪いか、得か損か、犠牲はどれほどか。 又、逆に御心を示された時、信仰がない、時間、能力が無い、無理 としり込みする。マリヤは信仰、能力、ふさわしいから受け入れた のでなく「主があなたとともにおられる」「主に不可能なことは一 つもない」を信じて、主に自分自身、自分の人生を明け渡した。 ----------- 主の働きかけに対し、今までの生活が変わってしまうかも知れない という強い恐れがくる。どこまでも自己都合の信仰だが、主が選ら び導かれるなら不安は無い。明け渡す信仰へと進もう。