2021年11月25日(木)

「ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏 して礼拝し、そして言った『私は裸で母の胎から出て来た。また、 裸で私はかしこに帰ろう・・』」ヨブ1:21



時に私たちは経験する。平穏な日々にある日突然、試練の中に置か
れている。わけがわからず、大変な状況に戸惑うばかりだ。経験あ
るかも知れない。ヨブも大富豪で、10人の子どもたちがいて、穏や
かで幸せな日々を送っていた。あるいは気づかずに罪を犯したかも
しれないと、自分と家族のために、いけにえを献げるほど敬虔だっ
た。

その中で突如の試練が臨んだ。1日にして家畜としもべを失い、子
どもたち10人共、皆失ってしまったのだ。しかしこの出来事にはヨ
ブのあずかり知らない舞台裏があった。サタンから神に、ヨブの信
仰を試すとの申し出があり、許可されたのだ。なぜなら神はヨブの
信仰を認めておられ、ヨブを信頼しておられたからだ。

サタンはヨブが従うのは、自分の利得のゆえであり、見返りがある
からだと言った。そのためすべての持ち物を取る事を許された。だ
がヨブは「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と
主にひれ伏した。私たちも「主は取られる」を経験する。特に、大
事なものを失うのは非常に辛い。しかし主ご自身を深く覚える時
だ。

「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなた
です」「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神
から来る」主がすべてである事を知らされる時だろうか。そして
「主は与え」とあるごとく、叉、与える事の出来るお方だ。
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なぜ、どうしてと問題や試練の原因を見つけようとして更に苦しむ
が、主が取られる。主に生かされていると深く思わされる。主は取
られるがまた包み、その手をもって癒してくださる。