2022年09月25日(日)

「その名はインマヌエルと呼ばれる(訳すと、神は私たちとともに おられる、という意味である」マタイ1:23


ある時、主は、弟子たちを強いて船に乗り込ませられた。つまり、
強制的に湖に送り出され、弟子たちは沖へこぎ出した。その途上で、
嵐となり、湖は波と風で荒れれ狂った。何も見えない、夜の真っ暗
闇の中での嵐は、どんなに恐怖であったことだろう。信仰人生にお
いて、嵐には出会う。雨も風も洪水も、又、日照りも、飢饉も来る。

人生には順境と逆境があり、順境は来るが、逆境も必ず来る。それ
は世の人々と同じだ。しかし世の人とどこが違うのか。その嵐のま
っただ中に、来て下さる主がおられる!必ず嵐に会うが、「しっか
りしなさい。わたしだ。恐れることはない」との主がおられる。何
と心強く、力強いことだろう。

私たちが、試練のまっただ中で、不安と恐れの中にいる時、又、辛
さと苦しみの中にいる時、孤独の中にいる時、「わたしだ。恐れる
ことはない」と言われる主がおられる。その主は、荒れ狂う湖の上
を平然と歩いておられる。私たちの問題や悩み、困難の上を歩いて
おられる。

ある人が若い頃、夜遅い帰宅となった。電灯も無く、うっそうとし
た森を通るのだが、真っ暗闇の中、もう足がすくんでしまい歩けな
い。固まってしまい、どうしても足が出ない。「神様!」と叫んだ。
その時「主共にいます」の言葉が、光のように来て、その場がパッ
と明るくなったように感じ、通り抜ける事が出来た。私たちの平安
は、問題が無い事ではなく、どんな時にも、主が共におられること
だ。ここに全き平安がある。

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生まれつきの性質は、問題が無いこと、平穏無事が善との価値観が
根深いが、そうではなく、「主が共にいます」大きな恵みで救いだ。
問題が無い事でなく、「世の終わりまで、いつも共にいて下さる主」
これを与えて下さっている。