2022年10月26日(水)

「しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう」 ハバクク3:18



ハバククはヨシヤ王の死後の預言者で、当時、国内は、人々は罪に
歩み、裁きが行われず、悪が増大し、混乱していた。主はカルデヤ
人を襲撃させ、悪を罰すると言われたが、現状は悲惨だった。「い
ちじくは花を咲かせず、ぶどうの木は実を実らせず、オリーブの木
も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎
にいなくなる・・」

不毛、失望落胆、嘆き、なすすべの無い、どん底の絶望状態だ。作
物も家畜も壊滅の状況だ。これを見るなら、希望も何もかも打ち砕
かれ、暗たんたる気持ちになって当然だ。先の事を考えると真っ暗
で、不安と恐れで絶望しかない。しかしハバククは全く違った。こ
の最悪の状況のまっただ中で主を賛美し喜んだのだ。

「しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼ
う。私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所
を歩ませる」と。主の裁きの先にある、赦しと回復を見ていた。主
は、罪を徹底的に裁かれるお方であると同時に「あなたは、ご自分
の民を救うために出て来られ、あなたに油そそがれた者を救うため
に出て来られます」の通り、救いの約束を成就される主である事を
信じていた。

私たちも厳しい試練の中で、目の前の状況を見るのでなく、主を仰
ぎ、主の約束を、御言葉を見続けることだ。それは選択だ。ハバク
クは、状況を喜んだのでなく、主を喜んだ。だから状況がどうであ
れ、いつも喜ぶ事ができた。今、状況を見ているだろうか。主を見
ているだろうか。
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目の前がどんなに悲惨でも、信仰はどんな状況も変えることができ
る。見ているところは何処だろう。主はご自分の者を必ず守ってく
ださる。主を仰ぎ主の御言葉とその約束に信頼し、待ち望もう。