2022年12月26日(月)

「いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を 見るからです」詩篇36:9



主は、エデンの園で、沢山ある木の中から、一つだけ善悪の知識の
木からは取って食べてはならないと命じておられた。必ず死ぬと。
しかしアダムとエバは、悪魔にそそのかされ、「目が開け、神のよ
うになり、善悪を知るように」なりたくて、善悪の知識の木の実を
食べた。その結果、目が開かれ、自分たちが裸である事を知った。

今まで主だけを見ていたが、自分で自分を見るようになった。その
見えるようになった目で、自分を見ると、裸だった。だからいちじ
くの葉で腰おおいを作って隠した。ありのままの自分の姿を隠し、
アダムとエバの二人だけなのに、互いに対して隠す事になった。

罪が入ったので、神との関係が遮断され、自分だけが見えて、神が
見えなくなった。罪の結果、今まで喜びと平安の中で、全く知らな
かった「恐れ」が入って来た。主の御顔を避け、主から隠れるよう
になった。主から離れ、自分で善悪を判断し、自分の力で生きる事
となった。つまり自分が神になって生きる性質が、罪の結果生じ
た。

悪魔は、美しさの極み天使の長だったが、神のようになろうとし
て、落とされ悪魔となった。自己啓発は、神のようになろうと、自
分から始ま、自分によって成り、自分に至る。すべて自分で、自己
完結だ。自分で自分を探るなら、ますます暗闇に陥ってしまう。

「神よ。私を探り、私の心を知り、思い煩いを知って下さい」と神
に探って頂く必要がある。御言葉が鏡であり、御言葉により自分の
真の姿が照らされる。そしてキリストのかたちへと造り変えて行っ
て下さる。
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主を信じていても、自分を見て世の中を見て、そしてもやもやと主
を見てしまう。真の光は自分の内にはなく、へりくだり主に近づき
求めていこう。主は溢れるばかりに注いでくださる。