2023年01月26日(木)

「彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられた ので・・」使徒16:6



信仰生活で、主の導きを求める原則は、「御言葉」と「聖霊による
平安」と「環境」の3点が一つになる事だ。その中で「環境」は、
状況をよく見ていよう。パウロが二度も環境により、行く手を阻ま
れた。アジヤでみ言葉を語る事を禁じられ、フルギヤ・ガラテヤ地
方を通った。ビテニヤに行こうとしたが止められ、トロアスに下っ
た。

東から来て、南も北も閉じられ、西に向かった。閉じられた理由
は、結果的に主のご計画が、「ヨーロッパ宣教」にあったからだっ
た。もし主の阻止がなければ、違った方向へ向かっていただろう。
私達一人〃にも主のご計画があり、時にストップをかけて導かれ
る。

ある思いがあるのだが、どうしても門が開かれず、状況が整わない
なら、それは主の御心ではない事になる。入学試験や就職試験が不
合格なら、そこは主の御心でなく、御心は別にあるという主からの
答えだ。主からのストップがかかると、私たちは導きを失ったよう
に感じ、道に迷ったような不安にかられるが、そうでなく「ノー」
との「導き」だ。更にふさわしい別の道が備えられている。

次の導きを「待て」ばよい。しばしば止められる事により、導きを
はっきりと知れる。又、門が開かれたなら、その方向に進めばよ
い。御心の門は、ひとりでに開く。主が開かれるからだ。自分で、
何が何でもと、こじ開けるのではない。必ず目の前で、ひとりでに
開かれて行く。御言葉、祈りによる平安共に、状況をよく見ていよ
う。
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主の導きを認めている心は平安だ。主が門を開いたり閉じたりして
教えてくださるからだ。新しい門が開く。悟れるよう祈ろう。主の
平安の中で待ち望もう。