2023年08月26日(土)

「人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集 めると、十二のかごにいっぱいあった。」マタイ14:20



よく知られている箇所だが、主のもとに来た人々が、男だけで五千
人、女、子供を入れると更に大人数になる。時刻も回って来た。弟
子たちの考えは「群衆を解散させ、めいめいで食物を買うように」
だった。それはこの状況では、妥当なプランであり、常識にかなっ
ていた。しかし、主の御心は違った。「あなたがたで食べ物を上げ
なさい」と。

「え?」と、弟子たちは戸惑った事だろう。こんなにも大勢の人々
にどうやって?こんな場所に店など無いし、あってもこれほど大勢
の分など不可能だと。そして手元にあったのは、五つのパンと二匹
の魚のみであった。「これよりほかありません」。私たちも目の前
の状況と自分だけを見て、判断してしまうだろうか。この目の前の
難題に、自分の能力では無理だ、能力も、時間も、経費も何もかも
不足だ。有り得ない。

自分に何が出来よう、自分の力、自分の持ち物など、焼け石に水だ。
何になろう。気が遠くなるほど膨大な必要を前に、手持ちは余りに
も微少だ。しかしそこには、目の前に、主がおられる事、主の御力
が、抜け落ちてしまっている。主に不可能は一つも無い。「それを、
ここに持って来なさい」そのあるか、無いかわからない、僅かなも
のを、主のもとに携えるようにと。

ここが秘訣だ。自分自身を明け渡そう。こんな僅かなものが何にな
ろう、と思うだろうか。主は、献げられたものを受け取り、いかに
溢れるばかりに祝福されるかは、驚くばかりだ。全員が満腹して、
更にパン切れの余りを集めると12のかごが満杯になった。今、主か
ら言われている事があるだろうか。
・・・・・・・・・
自分に、何ができようと思う。能力も、財力も、体力も、時間的に
も、何もかもが不足だ。しかし手元に何があるかと、問われている。
手元にある小さなものを、それを主のもとに献げるようにと。手元
にあるものをお献げしよう。それは周囲の人々を満たして行く。