2024年01月26日(金)

「・・主は誠実な者を保たれるが、高ぶる者には、きびしく報いを される。」詩篇31:23



私たちは新生し、主によって罪が赦された。しかしまだ天に帰るま
では、肉の性質があり、主に拠り頼まなければ、すぐに罪を犯して
しまう。血潮により、罪は完全に赦されているが、しかし今後、罪
を犯さなくなるわけではない。だからこそ、主に拠り頼んで行く。
私たちの犯す罪の内、最たるものは何だろう。

ある著者は、その罪を他人の中に見つけるなら、非常なる嫌悪感を
持つが、その同じ罪が、自分の中にあると気づく人はほとんど無い
と言う。その罪とは「高ぶり、プライド」といったものだ。明けの
明星が天から落ちたのは、この高ぶりだった。高慢は、サタンの最
たる特徴だ。アダムとエバが犯した罪も「あなたがたは神のように
なり」という高慢への誘惑だった。

カインは、弟アベルの献げ物だけが受け入れられた事を激しく妬
み、弟殺害にまで及んだ。プライドが傷ついたためだ。人々が「天
に届く塔を建て、名をあげよう」とバベルの塔を建てたのも高慢の
ゆえだった。サウルがダビデをつけ狙ったのも、「サウルは千を打
ち、ダビデは万」との女たちの言葉がプライドに触れたゆえだっ
た。プライドは、主を愛する事の対極にある。

プライドは自らを高め、自らを神とし、人より上でなければ気が済
まない。しかし、自らの破れた状態を知り、無力を認め、へりくだ
り、ただ主の愛ゆえに今ある事を知る人は、主を「愛して」行く。
それらは決して相容れないものだ。高ぶりに気づかせられ、砕かれ
る事は、実は大きな恵みだ。主に砕かれる事によって、高ぶりから
守られる。
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神のようになりたいなど思うはずがないという自分の中に簡単に御
霊に従わない高ぶりがある。気づけることが祝福だ。自分で謙遜に
はなれない者だ。破れを示され認め主に感謝していこう。