2024年03月26日(火) 「祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけ ません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです・・ だから、こう祈りなさい。」マタイ6:7
「祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけ ません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです・・ だから、こう祈りなさい。」マタイ6:7
主は、祈る先にすべての必要をご存じと言われ、何と感謝な事だろ う。何もかもを知っておられる。では、御父がすでにご存じであれ ば、祈る必要が無いではないか。だがこれは、ある人々は数珠を繰 りながら、同じ言葉を何度も〃繰り返すが、言葉数が多い者勝ち、 時間が長い者勝ちという事ではないのだと。 その発想が間違いで、祈りの言葉数や時間量の多い者順に聞かれる のではない。数や量によるのではない。それなら力の勝負になって しまう。主と私たちの間は「信頼関係」だ。だから同じ言葉の繰り 返しは無用だと。偶像と違い、御父はすでにご存じで、くどくど説 明する必要もない。しかし主は次の節で「だから祈りなさい」と言 われた。 だから祈る必要がないのでなく「祈れ」と。主は祈りを大変喜ばれ る。御父との交わりだ。子どもに「一生涯の必要はすべて保障する から、いっさい喋ってくるな」と言う親はいない。親は我が子の言 葉を聞き、対話し、その考えや気持ちを知りたい。それは愛してい るので、その事が喜び楽しみであるからだ。 御父はあなたの声を聞く事を待っておられる。又、主は必要をご存 じだが、私たちが自分の必要を知らない。真に必要なものを、自分 がわかっていない。的はずれに求め、自分の欲のために求めて気づ かない。主はそれらを軌道修正し、本当に必要なものへと正しく導 き、自分自身を変え、成長させて行って下さる。 ------------ 祈るために御前に行くことを主が望んでくださる、何と感謝だろ う。日常のあれこれをありのままに主に告げながら、祈りは主との 深い交わりとなる。そして最後は御心の通りにと主に手渡せてい く。