2024年09月25日(水)

「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえっ て悲しく思われるのですが、後になると、これによって訓練された 人々に平安な義の実を結ばせます」へブル12:11



多くの信仰者から、試練に会った事は感謝だったとの証しを聞く。
あの苦しみがあったからこそ、ぼんやりしていた状態から、主に真
剣に向き合えた。砕かれ、練られ、自分が変えられた。余裕がある
間は、自分を繕っておれるが、試練は、外側のものをはぎ取り、自
分の本当の姿をあらわにする。

ある婦人は、姑と難しかったが、良い嫁を頑張った。懸命に家事を
こなし、姑にも精一杯仕えた。しかし辛く当たられ、涙を流す日々
だった。ほとんどいじめの辛い日々であった。だが自分はクリスチ
ャン、証しにもなるようにと、懸命に仕えた。外面的には、きつい
姑に仕える、けなげな良い嫁に見えた。

しかし御霊は心の奥を照らし出された。心は、姑に対する憎しみ、
恨み、怒り、敵対心で渦巻いていた。そして密かに、巧く、わから
ないように仕返しし、復讐していた。良い嫁を繕った、内奥の恐ろ
しい罪を、御霊は照らし出された。まさに自分は罪人であった。心
から罪を悔い改めた。今まで確かに罪人だとは認めるが、ましな罪
人で、罪がピンとこなかった。頭の中での罪だった。

主の十字架が迫り来て、まさに自分のためであることが真にわかっ
た瞬間だった。いかに闇の中にいたかを知り、光に照らされ、罪赦
される喜びを経験した。御霊の喜びだった。苦しみに会った事を心
から感謝した。姑にも心が開けなかった事を詫びた。自分の心が変
えられ、姑のとの関係が変わった。声を上げて、心から笑い合える
間柄にされた。
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試練の闇の中で一人でもがいていると、隠していた本音の自分が明
らかにされる。決して相手のせいにできない闇だ。御父の聖さに触
れ、闇から抜け出る。ご計画を信じ、感謝する日を信じて進もう。