2024年10月26日(土)

「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちの負い目の ある人たちを赦しました」マタイ6:12



信仰生活で、様々な出来事の中で、赦せない相手が出て来る。
だが赦さない心は、相手ではなく自分が辛い。憎しみは重い鉛と
なり、心をふさぐ。日常の事に忙殺されている間は、忘れている
が、思いに上ると、ふっと心が暗くなる。楽しい時も、頭をよぎっ
た途端、辛くなる。さばく心を持ち続けると、祈りの障害となり、
又、「御霊によって歩め」の命令に従えず、肉の歩みとなってしまう。

苦しく、委ねるべきだとわかるのだが、憎しみを握って放せない。
自分ではどうにも出来ないので、まず、あるがままを主に告げよ
う。主は、手を取って一歩〃と導いて下さる。多くの人々がその
プロセスを様々経験して来た。ある人は、自分を批判、中傷した
相手への根深い恨みが、どうにもならず、祈り続けていた。

すると「父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているか自分で
わからないのです」との言葉が、心に響いて来て、当然、相手の
事だと思った。相手は、自分のしている事が、わからないのだか
ら赦すようにと。しかし御霊により、そうでなく、自分の事だと示さ
れた。相手が悪いせいと、憎しみ恨み怒りを正当化しているが、
しかしそれは紛れもなく自分の罪だと。

言われる通り、憎しみは、自分の罪だと認めさせられた。そして
続いて自分の罪の赦しが祈られている事に、大きな驚きと共に、
目が開かれた。自分が赦されている恵みにおおわれて、解き放
たれ、御霊により相手を赦すことができた。主の大きな恵みであ
った。主は助けて下さる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
多くの人々が、赦せない思いが、御霊により解決された経験を持
つ。一人〃、その取り扱いが異なり、それぞれに導かれている。
ある人は時間をかけながら、ある人は短い中で。祈りに持って行
こう。主は必ず導いて下さる。