2025年02月23日(日)

「あなたが食べて満ち足りたとき、主が賜った良い地について、 あなたの神、主をほめたたえなければならない・・気をつけなさ い・・あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れることがない ように」申命記8:10


モーセにより、苦難のエジプトを出たイスラエルの民は、主の約束
の地カナンを目指した。そして厳しい荒野での40年を経て、とう
とう乳と蜜の流れる地に入った。入ってしまえば、何もかもオーライ
で、もう信仰は必要無いのかというと、決してそうではない。良い
地に入って、食べて満ち足りた後も、「主の命令を守って、その道
に歩み、主を恐れよ」と。

主を信じ、主を礼拝し、信仰を持って生きるのは、何かをもらうた
めではない。利得のためでなく、それ自体が目的だからだ。例え
ば、何が何でも、欲しいものがあれば、どうだろう。喉から手が出る
ほど欲しい。命をかけても欲しい、そんなものがあれば、どうだろ
う。「わたしに求めよ」「願え」と言われる主に、祈りに祈り、一心
に願い求める。

しかし、与えられなかったなら、どうだろう。どうあっても、自らの
欲望を遂げようとするなら、もし叶えてくれるなら、主以外のもの
でもよくなってしまう。偶像でも、サタンでも、もし、それをくれる
なら、欲しいとなってしまう。余りにも強烈な欲求があると、道を
誤ってしまう。

目的さえ果たされるなら、手段は何でも良くなってしまう。そこに
高ぶりが生じ、神や信仰が、自らの欲望を叶えるための手段に
なる。神をも利用する、恐ろしい事になってしまう。「あなたの神、
主を心に据えなさい」。御霊に助けられて、軌道修正されながら、
主の愛に応答し、主を愛し、従って行けるよう、祈っていよう。

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良い時も、苦しみの時も、主を心に据えて生きることを覚えさせら
れる。もし願いが叶わないなら、そこに主を認め、受け入れる事が
大切だ。高慢から守られる。自分を通して行くと、どこに向かうか
わからない。