2025年04月25日(金)

「パロがこの民を行かせたとき、神は、彼らを近道である ペリシテ人の国の道には導かれなかった」出エジプト13:17



主は、民をエジプトから導き出された。その時に、約束の地カナン
へ向かうのに、近道であるペリシテ人の国の道ではなく、「荒野の
道」へ向かわせられた。「民が戦いを見て、心が変わりエジプトに
引き返すといけない」との、主の配慮であった。近道なら、即、ペ
リシテ人との戦闘になる。長年の奴隷生活で、戦闘訓練も、戦いの
経験も何も無い、その民が、敵との戦いなど恐怖で、おじけずいて、
引き返してしまうだろう。

私たちの思いの中に、平らな道、困難の無い道を好み、近道、早い
到達、順調が善との思いがないだろうか。苦しみや困難な事はでき
たら避けたい。だが、主は近道ではなく、あえて荒野の、困難な道
を通された。主が苦しい道を通されるのだ。私たちも、時に思う。
主に不可能はなく、今すぐに、願いを一気に叶えて下さればいいの
に。

延々と時間がかかり、まさに遠回りだと感じる、自分の思いと全く
違う道を歩ませられる。しかしそこを通ってこそ、忍耐や信仰が培
われ、主の愛や慈しみ、真実を身をもって経験する。委ねる事を学
ばせられる。そこを通らずして、あり得ない。そしてその通り道に
は、雲の柱火の柱が常に伴い、進べき道が示される。

灼熱の荒野を、雲の柱で守られ、夜の暗闇を火の柱が照らした。
それは、道中「民の前から離れなかった」。今、荒野を通らせられ
ているだろうか。主を信じ主に従って歩もう。そう出来るよう祈ろ
う。雲の柱、火の柱で、片時も離れず、行くべき道に守りつつ導い
て下さっている。
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なぜ遠回りや時がかかるのか、祈りを重ねる度に思うが、待つこと
も従う事も、信仰が必要だ。片時も離れない主が守ってくださる。
無駄はないと信じて歩もう。