2025年05月26日(月) 「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありま せん。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」 ガラテヤ6:7
「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありま せん。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」 ガラテヤ6:7
「思い違いをするな」とあり、私たちは思い違いをしてしまうが、 人は蒔いたものを、刈り取ると言っている。蒔かないものは、刈り 取りようが無い。これは法則であるので、例外は無い。コスモスの 種を蒔いて、朝顔の花が咲く事は決して無い。コスモスの種はコス モスの花だ。蒔く種は正しく、その花が咲く。 霊的な原則も同様だ。例外は無い。そして「時期が来て、刈り取 る」とあり、すぐにその場で結果が出るのではない。そこを思い違 いをしてしまう。それは悪い種を蒔いても、すぐに悪い実が出ず、 時間がかかるので、主を侮ってしまう。私たちは日々の生活で、絶 えず、御霊か肉に蒔いている。御霊に従って生きるか、肉の欲に従 い、自分の思い通りに生きるか、どちらかをしている。 人へ愛と親切の種を蒔けば、喜びと主からの報いを刈り取り、自分 にも愛が返る。祈りの種を蒔けば、祈りの答えを刈り取る。宣教の 種を蒔けば、魂の救いを刈り取る。献金の種を蒔けば、豊かな物質 的祝福を刈り取る。又、肉に従い、悪意と憎しみの種を蒔けば、そ の実を刈り取る。「善を行なうのに飽いてはいけない」「失望せず にいれば、時期が来て、刈り取ることになる」と。 善を幾ら行なっても目に見えるところ、結果が無いように見えて、 時にうみ疲れるかもしれない。しかし「時期が来て」必ず刈り取る。 宣教の種は特にそうかも知れないが、神の時が来た時に、豊かに刈 り取る。だから見えるところでなく、御言葉に立って、失望せずに、 蒔き続けるようにと。祈りの種も蒔き続けよう。答えを見る。 ----------------------- 良いものを蒔けば良いものを刈り取る。何と感謝な約束だろう。何 も変わらないように見えても、蒔いたものは結実する。厳粛な事実 だ。主に導かれ、良き種を蒔き続けよう。