2026年02月23日(月)

「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の 見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです」 ヨハネ9:39



主は、パリサイ人が盲目なら罪は無いが、目が見えるというので、
罪は残ると言われた。見えない世界を見るために、重要な事は何だ
ろう。まず、光が無ければ、絶対に見えない。そして、自分が見え
ていない事を知らなければ、決して見えるようにはならない。見え
ていると思っている限り、ずっとそのままだ。

では、見えるためには、どうすればよいのか。自分が見えないと、
認めることだ。その時、主が目を開いて下さる。パリサイ人たちは、
見えていると言い張った。しかし「人間の教えを、教えてとして教
えるだけ」で、そのために、神の言葉が見えていない。本当は盲目
であるのに、見えていると言う。

見えていないと気づくなら、救いがあるが、見えていると言い張る
ところに、罪が残ると。人は、自分が正しいと思い込むと、見えな
くなる。物理的には見えていても、霊的盲目状態だ。祭司長やパリ
サイ人たちは、自分たちは神の戒めを守り、神に従っていると思い
込んでいた。旧約聖書の学者であり、聖書に精通していた。

それが、神が遣わされた、御子イエスを認めず、殺そうとし、十字
架へと追いやった。自分を正しいとする時、見えなくなってしまう。
私たちもパリサイ人と同様だ。神によらなければ、何もできない、
盲目の者と知る事が、見えるようになる事だ。
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見たくないものは見ない。だからいつも自分が正しいになってしま
う。間違いやすく迷いやすい事を認めて、謙遜に主に聞いていきた
い。日々、新しく主を知り、光の中を歩もう。