2026年08月26日(水) 「蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると 鳥が来て食べてしまった」マタイ13:4
「蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると 鳥が来て食べてしまった」マタイ13:4
「道ばたに落ちた種」が出て来る。種であるみことばが、 耕地でなく、道ばたに落ちた。道ばたは、人が通り踏み しめられ、固い地だ。その心は固く、みことばが地中に 入らず、弾き返してしまう。自分の思いが強いと、みこ とばが心に入らない。聞こうとの意志が無いと、弾いて しまう。 又、傍観者、他人事として聞くなら、心に入らない。映 画館で、映画を観るように聞くと、それはそれ、これは これ、になり自分に関係の無い事として、右から左に流 れる。物理的に耳からは入るが、聞こうとしなければ、 「悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行 く」。悪魔がみことばを奪うと。 みことばが奪われるなら、聞かなかった事と同じになる。 みことばは、命だ。救われる事も、又、主を知る事も、 主のかたちに変えられる事も、みことばから来る。聞き 方は非常に重要だ。。そのため悪魔は、何とかしてみこ とばを聞かせないように働いて来る。 主が、出エジプトの奇跡で、激しい雹を降らせると言わ れた。今すぐ野にあるすべてのものを避難させよ、死ん でしまうからと。その時、主の言葉を恐れた者は、しも べ達や家畜を家に避難させた。だが、主の言葉を心に留 めず、軽んじた者は、しもべ達や家畜を野に残し、すべ てを雹は打ち砕いた。 主を畏れるなら、言葉を受け取り、行ないが生まれる。 私たちのみことばへの態度はどうだろう。主の言葉には 力がある。愛があり、真実があり、御言葉は、主のわざ を成し遂げて行く。祈り、御霊に助けられて、御言葉を 心して聞こう。 ------------------ 思い煩いや、強い思いが邪魔をして御言葉が入らないこ とがある。心の中の思いは祈り、いつも主の前に心を開 いていたい。へりくだって御言葉を受け取りたい。