2003年07月26日(土)

しかしナアマンは『何ということだ。私は・・彼が彼の主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし・・と思っていたのに』」(T列王5:11)

将軍ナアマンは主君に重んじられ、尊敬を受けていた。
しかし、らい病にかかっていた。召使いの少女が預言
者エリシャなら癒すことが出来ると提案した。エリシャ
はそれを引き受け、ナアマンはやって来た。すると、
使いの者がヨルダン川に七度身を浸すなら、元通りに
なると告げた。ナアマンは怒ったが、しもべの説得に
耳を傾け、その通りにした。すると、癒されたのだ。
まずナアマンにはプライドが砕かれる必要があった。
自分は手厚く迎えられ、手を置いて癒されるだろうと
思っていた。出迎えもなく、公衆の面前に恥をさらし、
川に浸かるというものだった。しかし、へりくだって、
それらを受け入れた時、癒された。神の砕き、神の方法
を受け入れ、従って行く時、私達は一段階一段階と成長
する。